「我らがパリの聖母」よ、永遠なれ。2019年4月15日の宵、築850年の大聖堂が焔に包まれた。フランスの栄光と悲惨、勝利と挫折を目撃しつづけた比類ない歴史を見つめ、保存運動と修復を経て、未曾有の危機を克服した今、再建のあり方を問いかける。1 二〇一九年四月十五日―火災の夜2 一一六三年―礎石3 一五九四年と一六三八年―ブルボン王朝4 一七八九年―理性、最高存在、そしてワイン5 一八〇四年―ナポレオンの戴冠式6 一八三一年―ヴィトル・ユゴーの小説はいかにしてノートルダムを救ったか7 一八四四年―ヴィオレ=ル=デュク8 一八六五年―オースマンがシテ島を「すっきり片づける」9 一九四四年―ド・ゴール将軍とパリ解放10 二〇一三年―ノートルダムの鐘11 二〇一九年―ノートルダムの再建をめぐる争い再建の日を待つ唯一無二の大聖堂 2019年4月15日の宵、著者はパリのアパルトマンから築850年の大聖堂が?に包まれるのを目撃する。火災を伝える写真や映像はメディアを通してたちまち拡散し、世界中の人々の心を激しく揺さぶった。 ここにひとつの疑問が浮上する。ノートルダムはなぜ、フランスという国家を象徴する存在となりえたのか。その答えを求めて、著者は大聖堂の歴史に刻まれた決定的瞬間に目を向ける。礎石の置かれた1163年に遡り、当初の建設を取り仕切った司教と大聖堂を設計した無名の建築家たちの物語から第一章が始まる。続く章では、アンリ四世のカトリックへの改宗、フランス革命、ナポレオンの戴冠式など、国家と王家にとってノートルダムの重要性が増していく歴史的経緯が語られる。 ヴィクトル・ユゴーの小説が保存修復への機運を高め、ヴィオレ=ル=デュクの画期的な修復工事とオースマンによる改造計画を経て、1944年のパリ解放の日、ノー
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