【内容紹介】私は自慢ではないが、《野村克也―野球=0》の人間である。その私が本書では、明智光秀について語ることになった。プレジデント社で歴史に詳しい方から明智光秀の話を伺い、その話の感想を書籍にしたのである。そこで得た私なりの結論は、「人は皆、明智光秀である」ということだ。彼もまた弱者の流儀でのし上がった人間なのである。光秀の心は、気持ちのパノラマのようである。挫折、苦悶、光明、苦渋、貧困、抜擢、期待、羨望、絶頂、すぐその横に苦悩が横たわり、そして最後には謀反、敗北という形で己の生命を終えた。その意味では、信長、秀吉、家康らの勝者たちよりもドラマチックに生々しく生きた。敗者は、私たちにとって人生の教科書である。私は、勝者になれなかったこの一人の男から多くのことを学べるような気がしている。「人は皆、明智光秀である」、この言葉を頭の片すみに置きながら、ぜひ本書を読んでいただきたい。【著者紹介】[著]野村 克也(のむら・かつや)1935年京都府生まれ。京都府立峰山高校卒業。1954年、テスト生として南海ホークスに入団。3年目でレギュラーに定着すると、以降、球界を代表する捕手として活躍。1970年からは選手兼任監督となり、その後、選手としてロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)、西武ライオンズに移籍。1980年に45歳で現役を引退。27年間の現役生活では、1965年に戦後初の三冠王になったのをはじめ、MVP5回、本塁打王9回、打点王7回、首位打者1回、ベストナイン19回、ダイヤモンドグラブ賞1回などのタイトルを多数獲得した。1990年にはヤクルトスワローズの監督に就任し、4度のリーグ優勝、3度の日本一に導く。そのほか、阪神タイガース、東北楽天イーグルスで監督を歴任。楽天ではチームを初のクライマックスシリーズ出場に導く。主な著書に、『弱者の流儀』(ポプラ社)他多数。【目次抜粋】まえがき第1章◆ 「その他」から始まった人生 ●戦国の歴史も、勝負の世界も人間ドラマ ●「ひもじさ」こそ、光秀と私を結びつける ●世に出るまでの長い道のり ●南海テスト生に合格第2章◆ マルチな才能が開花、ダブル主君 ●信長にその才能を認められた光秀、四十一歳の光明 ●信長の家臣、義昭の近臣 ●葛藤の中で成果をあげる ●残虐非道の比叡山延暦寺の焼き討ちと光秀 ●義昭追放と光秀の家臣団 ●ライバルは互いの身を助く第3章◆ 絶頂の四十代、疑心暗鬼の五十代 ●丹波攻略こそ武将としての誇り ●丹波攻略の五年間で明智家臣団がよいチームに ●初めての挫折~天正五年の黒井城の戦い~ ●天正七(一五七九)年八月、ついに丹波平定 ●織田軍団の〝近衛師団長〟 ●信長と光秀の蜜月時代 ●光秀の心に忍び寄る「疑心暗鬼」の瞬間 ●本質を知る、原理原則で考える第4章◆ 「敵は我にあり」 ●虚しき謀反の朝 ●安土城での家康の饗応役 ●本能寺の変 ●六月二日から十二日までの、光秀の十一日間 ●六月二日から十二日までの、秀吉の十一日間 ●心ならずも、山崎の戦い ●そして、死
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