本書は、松尾壽氏の隠岐流人研究論文の中、主要なものを集成・編集したものである。松尾氏は、本書の構成を整え、入稿原稿を準備しているさなかの二〇二〇年六月、体調を崩して入院された。その後、回復・退院し、現在養生中である。この事情から、本書の刊行実務は、島根大学で松尾氏の同僚であった竹永三男が担当することになった。 松尾氏は、隠岐諸島に遺存する「科口書」「村々流人預帳」などの流人関係文書群の調査、配流された流人の元の居村での史料調査などを積み重ねて個別論文を発表してきた。今回、本書刊行に際して「序論」を書き下ろすはずであったが、前述の事情でそれが叶わなくなったた。そこで、松尾氏の「序論」に代わる「『近世後期隠岐嶋流人の研究』に寄せて」を小林准士氏(島根大学教授)に執筆していただいた。その中で小林氏は、 「松尾氏はこれら各地の流人に関する研究を隠岐島内の史料調査を通じて発展させた上で、幕府法制に関する先行研究から得られた知見にもとづき事例分析を進めることによって、改めて近世国家が採用し続けた追放刑及び遠島刑の実態とその問題点を浮かび上がらせている。この点が本書の主な研究成果と言えよう。」と述べておられる。小林氏に本書の成果と課題、研究史上の位置を的確に示していただいたことで、松尾氏の隠岐流人研究の特長を明快に理解していただけるようになった。 松尾氏が隠岐流人研究に取り組み始めた一九八〇年代は、米軍厚木基地で行われた空母艦載機の夜間着陸訓練による騒音問題が激化したため、代替訓練施設が三宅島に設置されようとした時期と重なっていた。この代替訓練施設の設置を、三宅島民に対する差別だと捉えていた松尾氏は、当時進めていた流人研究の問題意識を次のように語っていた。 「三宅島には、もともと虐げられてきた歴史がある。流人の土地として、犯罪者を押しつけられ続けてきたんだけど、じゃあ、押しつけられる島の人の気持ちはどんなものかと。いつもそれを考えながら、隠岐の流人研究をしている。研究しているうちに、島の人達が迷惑を迷惑だけに終わらせないで罪人を包容してしまう面のある事がわかってきた。とにかく自然が厳しいから、流人も島民も助け合って生きていかなくてはならない。凄く人情味があるんだよ。こと隠岐に関しては、流人と島民はそういう関係にあったらしい。」(「松尾先生インタビュー」『歴史学通信』第21号、島根大学法文学部歴史学学生研究室、一九九七年六月)ここで松尾氏が研究室の学生に感慨を込めて語っていた隠岐島民および隠岐の地域社会と流人の関係は、本書収録の各論文の中で、実証分析の結論として述べられている。 一九九六年末までに行われたと思われるこのインタビューから二十五年を経た今年、松尾壽氏の隠岐流人の歴史的研究がようやく一書にまとまって刊行される。ぜひご一読いただきたい。(島根大学名誉教授 竹永三男)
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