日本の怠惰な知性の伝統の中で、「事件」として登場した坂口安吾と中上健次。二人は近代文学の根源へ遡行しつつ、「自然主義」と「物語」の止揚を目指す。安吾は、自らを突き放すような他者性に文学の「ふるさと」を見出し、中上は、構造に還元することなく、歴史の現在性としての「路地」と格闘する。闘う知性としての安吾と中上を論じた74年から95年までの批評を集成した、伊藤整文学賞受賞作。1 坂口安吾をめぐって(『日本文化私観』論;安吾、理性の狂気;安吾はわれわれの「ふるさと」である ほか)2 中上健次をめぐって(「十九歳の地図」書評;中上健次論抄;中上健次への手紙 ほか)3 安吾と中上をめぐって―関井光男との対話(安吾の可能性;闘争する知性と文学)闘う知性が読み解く、事件としての安吾と中上ーー日本の怠惰な知性の伝統の中で、「事件」として登場した坂口安吾と中上健次。二人は、近代文学の根源へ遡行しつつ、「自然主義」と「物語」の止揚を目指す。安吾は、自らを突き放すような他者性に文学の「ふるさと」を見出し、中上は、構造に還元することなく、歴史の現在性としての「路地」と格闘する。闘う知性としての安吾と中上を論じた、74年から95年までの批評を集成した、伊藤整文学賞受賞作。◎「文学」とは、どんな秩序にも属さず、たえず枠組を破ってしまう荒ぶる魂であった。文学をやっている人がすべてそうなのではない。むしろその反対である。文学という枠組を吹き飛ばすようなもの、それが「文学」だった。私と中上は文壇において暴風雨のような存在であった。そして、われわれがともに敬愛していたのが坂口安吾である。(中略)私は安吾を高く評価していた。しかし、小説家としてではない。私にとって、彼の作品は、哲学であり、歴史学であり、心理学あり…
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