戦争に至る憎悪のメカニズム。1937年7月29日、北京近郊の街・通州で、日本軍の傀儡政権であった冀東防共自治政府の保安隊が反乱を起こし、日本人居留民225人(日本人114人・朝鮮人111人)が虐殺された通州事件。日中戦争研究の第一人者が、事件の真相と被害者姉妹の苦難に満ちた「戦後」の道のりをオーラル・ヒストリーの手法を用いて叙述する。第1部 通州事件はなぜ発生したのか―歴史的要因と全貌の解明(通州事件の歴史背景;冀東保安隊はどのような軍隊だったのか;冀東防共自治政府と冀察政務委員会;中国国民の怒り、怨嗟の的になった冀東政権;華北における抗日戦争気運の盛り上がり ほか)第2部 憎しみの連鎖を絶つ―通州事件被害者姉妹の生き方(満州への移住と病院開設;通州事件に遭遇した鈴木家;"戦争孤児"になった姉妹;憎しみの連鎖を絶つ)「通州事件」とは、北京郊外の盧溝橋で日中両軍が衝突(1937年7月7日)した22日後、北京から東へ20キロの都市・通州で、日本の傀儡政権・冀東防共自治政府保安隊が挙兵し、日本軍特務機関長以下の軍人・在留邦人(うち約半数が朝鮮人)が殺された事件である。 通州事件は日本軍の従属下にあった傀儡軍の保安隊が起こした虐殺事件であり、中国国民政府軍ではなかった。しかし当時の日本では中国軍による日本人居留民虐殺事件としてセンセーショナルに報道した。当時の新聞には、「戦慄! 通州反乱隊の残虐 突如全市に襲撃」「恨み深し! 通州暴虐の全貌 保安隊変じて鬼畜、罪なき同胞を虐殺」「悲痛の通州城! 邦人の鼻に針金とおして 鬼畜暴虐の限り」「世紀の残虐・ああ呪ひの通州 夫より迸る血の海に 鬼畜! 臨月の腹を蹴る」といった見出しが躍った。保安隊の残虐、残忍性を強調し、日本人居留民がいかに残酷な手段と方
Honya Club.com