列島が泣いた、あの急逝から1年。初めて明かされる感動の師弟愛物語!序章 動いてみれば、答えは出る第1章 仰げば尊し―志村さんから教わった大切なことの数々第2章 常識を知らなきゃ「非常識」はできない―天才と呼ばれた人の日々の努力について第3章 芸人修業―師匠のスネをかじってばかりでスミマセン第4章 やさしさのカタチ―こらえきれなかった楽屋の涙第5章 いつか「だいじょうぶだぁ」と言ってもらう日まで―もしも「あの世」というものがあるのなら新型コロナで急逝した「笑いの王様」――その絶頂期を付き人として仕えた著者が語る「知られざる素顔」。底抜けに優しく、笑いにはとことん厳しい天才の姿に感動!2020年3月29日、日本から「笑いの王様」が天へと旅立っていった。その名は志村けん――享年70歳。まだまだ、テレビに舞台に精力的に活動を続けていこうとしていた矢先に襲った新型コロナ。その第一報の衝撃はいまだに生々しい。多くの大物芸人たちが司会や役者などの道を切り拓いていったのに対して、あくまでも「お笑い芸人」を貫いた師匠は、自分自身の「笑いの哲学」を語ることもほとんどなかった。しかし、そんな口数少ない志村けん氏の毎日を付き人として7年間、朝から晩まで、海外へも同行した男がいた。鹿児島出身の若者・櫨木信一(はぜきしんいち、後に乾き亭げそ太郎)。志村けん氏に憧れ、上京した櫨木は運良く、ドライバー兼付き人として採用される。「笑いは正解のない世界だから、俺から教えることは何もないぞ」その一言に新人・櫨木は「これこそが本物の芸人だ」と感動した。惚れた。。若者から見た志村けんは、どこまでも優しい男だった。どんなに仕事上のミスをしても怒らない。「そういうこともあるさ」と飄々としていた。だが、「笑い」の上での間違いに対して
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