真田幸村の奮戦空しく大坂夏の陣は、豊臣氏滅亡で幕を閉じる。名実ともに天下を掌握した徳川家康は同年、武家諸法度、禁中並公家諸法度の公布で全国の大名と朝廷への支配を確立。翌一六一六年の家康没後も秀忠、家光は幕政強化を継続。将軍が病床にあっても政務が円滑に運営される老中制で政権を盤石に。二百六十余年も続く幕府の強さを解明した名著。第1章 豊臣から徳川へ第2章 大御所と将軍第3章 将軍と天皇第4章 鎖国への道第5章 家光政治の開始第6章 江戸前期に生きた大名たち第7章 鎖国の完成第8章 寛永の大飢饉終章 東アジアのなかの日本家康と秀忠、家光の徳川三代が、どのようにして二百六十余年に及ぶ盤石な幕府体制を築きえたか。大坂の陣を前にした一門、譜代大名配置による大坂包囲網の完成をはじめ、豊臣恩顧の外様大名対策や天皇・公家など朝廷への支配権確立、さらに将軍が病床にあっても政治がスムーズに運営される老中制度の成立など、長期政権を支えた様々な要因を解明した近世日本史の名著。豊臣氏の関白政権とは異なる将軍制を選んだ家康と秀忠、家光の徳川三代が、どのように二百六十余年におよぶ盤石な幕府体制を築き上げたか。その要因を豊臣恩顧の外様大名対策や天皇・公家など朝廷への支配権確立、幕府老中制度の成立などから明らかにする。1600年、関ケ原の合戦に勝利し、1603年に征夷大将軍になったあとも家康と豊臣秀頼の君臣関係は明確とならず、この矛盾は1615年、大坂夏の陣による豊臣氏滅亡によってようやく解消される。真田丸を砦に家康本陣に突入、徳川方を大混乱に陥れた真田幸村は奮戦むなしく松平忠直の兵に討たれた。徳川方15万5千、豊臣方5万5千という関ケ原を上回る大規模な戦闘の結果、徳川幕府は名実ともに天下を掌握。同年、「武家諸法度」と「禁中
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