虐殺の原因と経緯、ソ連に同調した連合国の隠蔽工作、ゴルバチョフの沈黙、歴史家の責任まで分析する決定版。2008年、ハンナ・アレント政治思想賞を受賞。序論1 ポーランド分割とポーランド市民のソ連収容所拘禁2 殺戮と追放3 階級殺戮、すなわち階級浄化4 カチンの虐殺 責任者たちを探して5 ソ連のつく嘘と西側によるその隠蔽6 ソ連の公式見解に甘んじる政治家と歴史研究者7 ゴルバチョフの沈黙8 カチン事件 歴史学と政治へのひとつの教訓1939年8月の独ソ不可侵条約、それにもとづく両国の相次ぐポーランド侵攻、こうして第二次大戦ははじまった。1940年春、ソ連西部、スモレンスク郊外のカチンの森で、ソ連秘密警察は約4,400人のポーランド人捕虜将校を銃殺した。犠牲者数は、同時期に他の収容所などで殺されたポーランド人と合わせて22,000人以上。職業軍人だけでなく、医師、大学教授、裁判官、新聞記者、司祭、小中学校教師など、国をリードする階層全体におよんだ。しかしソ連は、犯人はドイツであると主張。さらに連合国もすべてソ連の隠蔽工作に加担し、冷戦下も沈黙を守りつづけた。ソ連が事実を認めたのは1990年、ゴルバチョフの時代。92年になるとスターリンの署名した銃殺命令書も閲覧可能になる。スターリンが、ポーランドという国自体を地図から抹消しようとした理由は何か。なぜゴルバチョフは、もっとも重要な文書の公開に踏み切れなかったのか。著者は簡潔にバランスよく、独ソ不可侵条約とカチン虐殺の関係、欧米列強の対応と思惑、歴史家の責任、さらにはカチンに象徴されるソ連全体主義の根本的な問題と、ふたつの全体主義国家(ナチ・ドイツとソ連)の比較まで、最新資料を駆使しながら解析する。日本では類書はきわめて少ないが、欧米では蓄積がある。本書はそのなか
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