宗教の接触・対峙・相克の生み出す力学。中世世界の信仰の広がりと人間社会の関係を考える。総論 巨大信仰圏の出現1章 セルジューク朝の覇権とイスラーム信仰圏の分岐2章 イスラームとインドのフロンティア3章 仏教王ジャヤヴァルマン七世治下のアンコール朝4章 巨大信仰圏の交点としての十字軍補論 ユーラシア東部における「唐宋変革」期キリスト教圏・イスラーム圏・東アジア圏において成立した普遍性をもつ圏域世界は、12世紀にむかい、さらなる膨張を進めながら、信仰を基盤とする統治の体系(政治社会)として成熟していきます。ローマ帝国の崩壊過程のなかから、アッバース朝を軸とするイスラーム世界の辺境に出現したフランク王国は、ガリア・ゲルマニア・イタリア地域を統合するキリスト教国家のモデルを創出し、ローマ帝国の後継国家という名義を頂くことを通じて、普遍性を継承することにも成功しました。カール大帝という人格において統合されるフランク王国=ローマ帝国という二元国家は、在地の統治機構として成熟を遂げつつ、君主家門を核とする君主国へと成長していきます。徴税と動員のシステムとしての君主国の中核には、裁治権と司牧の体系として社会の末端にまで浸透を始めた教皇権が束ねる信仰世界が広がります。一方で、イスラーム圏では、アッバース朝における権力闘争を契機に政治的分裂が進み、地域ブロックごとに地方政権が自立し、ファーティマ朝(シーア派:909-1171)、後ウマイヤ朝(756-1031)がカリフを自称した結果、3カリフの鼎立が生じました。こうしたバグダードの混乱のなか、11世紀に入るとセルジューク朝(1038-1194)がバグダードを押さえ、スルタンの称号のもとに武断的な統治を推し進め、広域統治を実現する。強力なカリフ権力のもとでのスンナ派による広域統
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