ひとりの男性として、自分は何が語れるだろうか?#MeToo運動をきっかけに覚えた、男性としての居心地の悪さ、動揺、そして目覚め。フランスの哲学者・宗教社会学者である著者が、男性支配の構造と、その解体を語る。男"という悪"の凡庸さ問題なのは、ドン・ジュアン#MeTooの意味を歪める五つのやり方同意の超越論的価値白馬の王子の神話が意味していること資産として重要な女性女性の値段「女子無料」は女性優遇なのか男らしさは女性によって伝達される心も体も不完全な女性レイプの文化男らしさの無力(不能)強すぎる女性に対する不安女性の欲望に対する怖れ去勢コンプレックスはまずは男性的なもの金の檻から抜け出す果たされていない近代の約束女性の同意は両義的で紛らわしいという俗説愛のないセックスジェンダーのなかの違和感自由を恐れないこと私たちの差異を再び自分のものにすることジェンダーの和平に向かってエピローグ―価値の転換ひとりの男性として自分は何が語れるだろうか?#Me Too運動をきっかけに覚えた、男性としての居心地の悪さ、動揺、そして目覚め。フランスの哲学者・宗教社会者である著者が、男性支配の構造と、その解体を語る。リオジエが問題視するのは、女性の身体に向けられる男性の視線である。歴史的・社会的・文化的に培われてきたこの眼差しが、女性を客体化(objectiver)し、もの(objet)として所有すること、資本として蓄積することを可能にしてきた。そのようにして男性優位の構造が形作られてきた。そこに問題の核心がある。(「訳者解説」より)
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