図版(画家を目指して:一九三〇年代ー一九四二年;竹工芸の変遷と成熟:一九四七年ー二〇〇三年;飯塚小〓齋と太田;主な展覧会出品作品)論考・テキスト(論考 日本近現代工芸の思潮から見た飯塚小〓齋―「実用」への抵抗と「鑑賞」への抵抗と「鑑賞」への接近、その転換点から;インタビュー 画家・野見山暁治が語る、東京美術学校での飯塚小〓齋;エッセイ 美は内にありそれからの父、小〓齋(飯塚万里(飯塚小〓齋長女、「琅〓洞」主宰));再録 竹に学んで;再録 なぜ「己」を抑えるのか)画家になりたかった竹芸家―飯塚小〓齋。「工芸」と「絵画」の間で苦闘し、成し遂げた「造形美」を1冊にまとめた決定版!「竹は自然が最も美しいと思う」飯塚小〓齋(いいづか・しょうかんさい、1919-2004)は、竹という素材を尊重し、竹ならではの造形美を追求した竹工芸家です。1982(昭和57)年には、重要無形文化財「竹工芸」保持者(人間国宝)に認定され、「用の美」の理念のもと、作品を磨き上げました。父・琅〓齋から学んだ技術を現代的な感性で発展させた作品は、今日の竹工芸の基盤を形成したとも言われ、格調高く、洗練された美しさを有しています。その小〓齋が、若かりし頃、画家を目指していたことはあまり知られていません。代々竹工芸を生業とする飯塚家の次男として生まれた小〓齋は、幼少期から竹に親しんできたものの、画家を志し東京美術学校油画科(現・東京藝術大学)に入学、画家・藤島武二の教室で、画業の研鑽に励みました。しかし、父から竹工芸を継承すべく修行をしていた長兄・幹雄が1943年に他界。戦後復員ののちは、画家を諦め、琅〓斎の指導のもと、竹工芸の道へ進むこととなります。竹工芸家としての初期の主な発表の場であった日展への出品作品は、竹を素材にしながらも、具
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