東はハワイから西はセイロン、北はアラスカから、南はオーストラリア。この広大な戦域の空に、あまりに強く、同時にあまりに脆く、そしてあまりに美しい戦闘機を駆って戦った若者たち。長い間、黙して語らなかった彼らが最後に伝えたかったこととは!第1章(零戦初空戦向かうところ敵なし;彼らはいかにして搭乗員となりしか)第2章(日米開戦。連戦連勝、そしてミッドウェーのつまずき;零戦の好敵手たち)第3章(ラバウル、ブカへの旅;ガダルカナル攻防戦)第4章(特攻のさきがけ・甲飛十期;「特攻」はどうして始まったのか)第5章(沖縄、本土上空の戦い)第6章(それぞれの戦後)「昭和十五年、第十二航空隊に属して戦ったときは、私のいた十ヵ月の間に、搭乗員の戦死者は一人も出ませんでした。十七年八月から十八年にかけ、ソロモンで戦った第二航空隊は、補充を繰り返しながら一年で壊滅、しかし一年はもちました。 ところが、十九年六月に硫黄島に進出した二五二空は、たった三日の空戦で全滅しました。続いて十月、再編制して臨んだ台湾沖航空戦では、戦いらしい戦いもできなかった。 そんな流れで戦った搭乗員の立場からすると、フィリピンでの特攻というのは、ある意味、もうこうなったらやむを得ないと納得できる部分のありました」 こう語るのは、中国大陸での零戦初空戦の頃から熟練の搭乗員として活躍し、終戦の日、特攻出撃を待機していた角田和男さん。この戦争を通じて、零戦がどのような存在であったかを端的に表す証言である。 著者の神立氏、大島氏は、晩年を迎えた、最前線で戦った多くの搭乗員たちの肉声を聞くことができた。それゆえ、本書では、初空戦では、撃墜27機、損害0機で圧勝した、惨敗と言われたミッドウェイ海戦で搭乗員の戦死者は米軍の方が圧倒的に多かった、ラ
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