映像という闇の中の光芒に、忘れがたい陶酔の記憶を探る。日常の制約から解放されたエクスタシー・忘我にあっては、理知的であるよりも、事物の核心が直截・明快に見えているのではないか。映画の未来をゴダールは生き、リーフェンシュタールは肉体の美と生命力を謳い、抑圧された性の解放を戦うクローネンバーグ。さらに精霊と死者の世界に彷徨うアピチャッポン、小津安二郎サイレントの究極の大胆さ―。エクスタシー体験が、底知れぬ真実の深みを垣間見せる。全く斬新で画期的な映像・認識論。1 来たるべき映像のために/絵画・写真・映画(映画の未来の陶酔のために―ジャン=リュック・ゴダール「イメージの本」;逃げ去る映画/新しい記憶―ジャン=リュック・ゴダール「勝手に逃げろ/人生」;光と瞬間の奇跡―ピクチャーからモーションピクチャーへ)2 聖性を呼ぶ(オリンピアの身体―レニ・リーフェンシュタールの映像身体;身体、影の詰まった袋―ルイス・ブニュエル「忘れられた人々」を呼びさます;肉体の抑圧と再帰する性の欲望―デイヴィッド・クローネンバーグ論)3 愛するエスノグラフィ(陶酔する映像―マヤ・デーレン「神聖騎士」を中心に;感覚民族誌と世界霊―ハーバード大学感覚民族誌学研究所「リヴァイアサン」から「カニバ」へ;シネトランスの彼方へ―ジャン・ルーシュの憑依儀礼映像を中心に)4 転生する記憶(転生と精霊―アピチャッポン・ウィーラセタクンの映像芸術;イメージの山へ―フィオナ・タン「アセント」;旋回する想起―ビル・ビオラの踊る知覚映像)5 陶酔のドキュマン(夜汽車のメタモルフォーゼ―一九三〇年代の小津安二郎;サイレント・デスマスク―「非常線の女」における小津安二郎の写真/映画;閃光/記憶と忘却―ジョシュア・オッペンハイマー「アクト・
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