コンプライアンスが今ほどきびしくなかった時代でも、出入り禁止ばかりを食らっていた男がいた。しかし、男はそれを意に介さず、いつのまにか天才と称されて、多くのフォロワーを生み出し、TVの世界を劇的に変えていった。さまざまな表現が不自由となってきている今だからこそ、出禁を恐れず壁を突破し続けた一ディレクターの半生を語ろうと思う。斜視運不運スタートは制作会社のADディレクターデビューは雨傘番組正月特番で最低視聴率、日テレ出禁東大生の血をたこ八郎に輸血する実験で出禁「おれ、テレビ界に革命起こしてみせますから」『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』やしろ食堂のXJAPAN土屋敏男とガンジーオセロプロデューサーとの乱闘で出禁寸前不肖の弟子と再会ねるとん紅鯨団淺草橋ヤング洋品店江頭2:50のグランブルー日本共産党から出禁エピローグ斜視との別れ今の時代では書いてはいけないことかもしれない。それでも私は今だから書き記しておかねばと思った。コンプライアンスがそれほど問題とされなかった時代でも、何度も何度も出入り禁止ばかりを食らっていた男がいた。しかし、男はそれを乗り越え、天才と称されて、多くのフォロワーを生み出し、TVの世界を劇的に変えていった。その男のことを語ろうと思う。
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