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雲仙・普賢岳噴火、東日本大震災、中越地震…多くの被災地をご訪問された天皇皇后両陛下。「どうか、頑張ってください」「その後、村の様子はいかがですか?」暖かいお言葉が、人々を勇気づけ、新たな人生に向かわせる―。「国民と同じ目線」のお姿に心打たれて―一九九一年七月十日 長崎県島原市(雲仙・普賢岳噴火)花言葉に込められたメッセージ―二〇一六年九月二十八日 岩手県上閉伊郡大槌町(東日本大震災)除染作業の飛沫も気にされることなく―二〇一二年十月十三日 福島県双葉郡川内村(東日本大震災)闘牛を見て、詠まれた歌―二〇〇四年十一月六日 新潟県長岡市(旧山古志村)(新潟県中越地震)「種をいただけませんか」という優しいお言葉―二〇一八年六月十日 福島県南相馬市(東日本大震災)島外避難中、そして島に戻ってからも―二〇〇六年三月七日 東京都三宅島三宅村(三宅島噴火)二度目にかけられた陛下のお言葉―二〇一六年三月十六日 福島県双葉郡葛尾村(東日本大震災)小さなビニールハウスでイチゴを褒められて―二〇一五年三月十四日 宮城県東松島市(東日本大震災)開拓者へ、鎮魂の訪問―二〇〇五年九月二日 栃木県那須郡那須町(千振開拓団)工場で匠の技を褒めていただく―二〇一三年七月二十二日 福島県相馬郡飯舘村(東日本大震災)予定にない訪問への強いご意志―二〇一四年六月二十七日 沖縄県那覇市(対馬丸事件)陛下への片言の手紙―二〇〇六年六月十日 マレーシア・クアラカンサー   Honya Club.com


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三宅島の噴火とこの四年間を私たちは、決して忘れてはならない。噴火と脱出、都会での避難暮らし、励ましとボランティアの助け、動き出した行政と島びと、帰島への夢を綴る。〈村榮〉1932年中国生まれ。東京学芸大学卒業。神奈川県職員を経て、東京都の教員となり、三宅島に渡る。都立三宅高校などに勤務。現在は退職し、東京都に避難中。    HMV&BOOKS online