「写す」ことは記録であり、学びでもある。「写す」ことで、遠くの景色や秘筺に納まる名筆を、時間や距離を超えて「移す」ことができる。刻し搨せば唯一のものを増やすこともできる。先人の技術を自らに「移す」こともできる。そしてもちろん、写すことはそれ自体が創造的な活動であり、人の内面を「映す」ものである。江戸時代は「写す」時代だ。その情熱は今日ではもう取り戻せないのかもしれない。第1章 うつしのゆくえ第2章 定家様のひろがり第3章 『集古浪華帖』の周辺第4章 貫名菘翁の古典学習第5章 市河米庵の「うつす」しごと第6章 和刻法帖をめぐる人びと第7章 真の姿を描く成田山書道美術館で2022年10月22日〓12月18日に開催される「開館30周年記念 江戸の書画─うつすしごと」展の公式図録。江戸の能書や文人、絵師たちの写す仕事を紹介する展覧会です。〈以下、展覧会内容詳細〉 書も絵も、そのいとなみの中心は「うつす」ことと言えます。古人の名跡を臨書し、父祖や師の筆跡を手本に学ぶ。風景や人物、花鳥、身辺の出来事を描き留める。うつすことは学習であり、時間や距離を超えた伝達を可能にする記録であると同時に、書き手、描き手の意志を伴った創造的な活動でもあります。写したり搨(うつ)したりすることによって、持ち運ぶことのできない景色や、秘筺に収まる名品を見ることができます。つまり、"写し搨(うつ)す"ことで、"移し遷す"ことが可能になるのです。 江戸時代になると、書においては法帖の輸入と制作が盛んになり、日中古今の名筆を搨した墨帖が大量に出版されました。絵では四条円山派のように写生を重視する姿勢が確立されるとともに、花鳥などの図譜もたくさん編まれます。 塙保己一の『群書類従』や松平定信の『集古十種』のような歴史や博物、文学な
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