だれが日本をつくったのか!どんでん返しの日本古代史。通説とは150度異なる日本誕生の真相を明らかにする。序章 誰が日本神話をつくったのか第1章 倭の五王と加羅系崇神王朝第2章 応神天皇と「日十大王」の正体第3章 隠された継体天皇の出自第4章 辛亥のクーデタとワカタケル大王第5章 蘇我馬子は大王だった第6章 真実と虚構の『日本書紀』だれが日本をつくったのか?!どんでん返しの日本古代史。通説とは150度異なる日本誕生の真相! 初期律令国家(八世紀初頭)の「記紀」編纂の総責任者藤原不比等は、朝鮮の加羅から渡来した崇神・垂仁+倭の五王「讃・珍・済・興・武」と、百済から渡来した兄弟王子(昆支と余紀)を秘密にした(兄は伝応神陵、弟は伝仁徳陵の被葬者)。 その秘密をカモフラージュするため、「記紀」は分身・虚像(実在しない天皇や皇子)・代役・伝説上の人物をたくさん創作したのだ。例えば、卑弥呼には神功皇后、昆支=倭武に応神天皇・日本武尊・神武天皇、継体に仁徳天皇、ワカタケル大王に雄略天皇や蘇我稲目、大王馬子に推古天皇や聖徳太子などだ。「記紀」編纂の主要な目的の一つは、日本古代史上の最大のワカタケル大王(欽明)による「辛亥(しんがい)= 531 年のクーデタ」をなかったことにすることだった。しかし二一世紀の今、私たちは東アジアの古代史の5 W 1 H「だれが、いつ、どこで、なんのために、どうしたのか」を明らかにする金石文をもっている。七支刀(369 年)、好太王碑(414 年)、隅田八幡鏡(503 年)、武寧王墓誌(512年)、稲荷山鉄剣(531 年)などだ。 本書は、先学の研究や歴史・考古学的資料にもとづいて検証したが、その内容は通説(「記紀」)とは180 度異なる世界になった。しかしこれが本当の東アジアの中の古代日本の姿なのだ。
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