日本人は、日中戦争を未だ知らない。1937年の盧溝橋事件、南京事件や38年の重慶爆撃までは有名だ。しかし、41年12月の太平洋戦争開戦後、中国戦線で日本軍がどのような作戦を展開していたのかは、対米戦の陰に隠れ、意外な程に知られていない。主要作戦に従軍し続けた名古屋第三師団の軌跡から、泥沼の戦いとなった中国戦線の実像を気鋭の中国史研究者が描く。空白を埋める新たな日中戦争史!第1章 最初の敗北―第二次長沙作戦(因縁の長沙;日中両軍の作戦部隊の戦力比較;「天炉」の中へ;長沙攻略戦;長沙突入と敗走)第2章 細菌戦の戦場―浙〓作戦(大本営のプライドをかけた戦い;敵味方を苦しめた細菌戦)第3章 暴虐の戦場―江南殱滅作戦と廠窖事件(江南の敵野戦軍を撃滅せよ;「太平洋戦争期で最大の虐殺」はあったか)第4章 毒ガス戦の前線―常徳殱滅作戦(明確な戦略なき作戦;第六戦区主力との戦い;常徳城の占領)第5章 補給なき泥沼の戦い―一号作戦(大陸打通作戦)(一号作戦;湘桂作戦)真珠湾攻撃の裏で起きていた、敗北。41年12月以降、中国戦線では何が起きていたのか?気鋭の中国史研究者が空白の戦史を埋める!日本人は、日中戦争を未だ知らない。1937年の盧溝橋事件、南京事件や38年の重慶爆撃までは有名だ。しかし、41年12月の太平洋戦争開戦後、中国戦線で日本軍がどのような作戦を展開していたのかは、対米戦の陰に隠れ、意外な程に知られていない。主要作戦に従軍し続けた名古屋第三師団の軌跡から、泥沼の戦いとなった中国戦線の実像を描く! 新たな日中戦争史。■1941年12月ー42年1月、手痛い敗北を喫した第二次長沙作戦■731部隊の細菌戦となった戦場、浙カン作戦■一方的な勝利となった江南殲滅作戦。その中で起きたもう一つの虐殺・廠窖事件の実相■毒ガス戦
Honya Club.com