没後15年となる石川賢の初めての「連載」作品であり『ゲッターロボ』からさかのぼっての、初めての永井豪と連名となる記念碑的作品、47年ぶりの単行本化にして、カラー頁や扉絵といった初出誌掲載状態を初の再現!1967年、22歳のときに『目明しポリ吉』でデビューした永井豪。デビュー以降、精力的に作品を発表し続け、それまでのマンガ・スタジオのように、先生とアシスタントといった徒弟的でヒエラルキーのある関係ではなく、クリエイター集団を目指してダイナミックプロを創設した永井豪の隣で、誰よりも精力的に活躍をしたのが石川賢でした。2006年、享年58で急逝した石川賢は1948年6月生まれ。1945年9月が誕生月の永井豪とは、ともに団塊世代に属し、年齢差では3年の違いもありません。そんな2人が、名前を列記させて発表した初めての作品が『学園番外地』でした。学園ギャグ漫画である本作の連載が開始したのは1969年。東大安田講堂事件が起きた年であり、2人と同世代の若者たちが口々に革命を訴え、紛争に血道をあげている時代でもありました。同じ時代の空気の中で、やはり旧来の権威を痛烈に嘲罵してみせた『ハレンチ学園』(1969年ー)や『ガクエン退屈男』(1970年ー)と並び、本作は永井豪の三大学園漫画の一角を占めると言っても過言ではないでしょう。連載開始当初、永井豪は23歳であり、本作が初めての連載作品となる石川賢(連載開始時は本名の石川賢一、途中から石川賢に)は、若干21歳という若きコンビでした。しかし、連載途中の1970年No.19(9月22日号)をもって、石川賢がヒッチハイクでの日本一周を宣言してダイナミックプロを退社したため、次号以降の連載は「相川てつじ/監修・永井豪」という形式に変更されます。それから数年後、石川賢はダイナミックプロに正式復帰。やはり永井豪と
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