房総里見氏とは、永享十二年(1440)から、翌年、嘉吉元年(1441)におよぶ結城合戦で、鎌倉公方足利持氏の貴児、春王、安王に味方して敗死した足利家基の子・義実をその始祖とし、徳川の時代になって、元和八年(1622)、里見忠義の代をもって断絶した代々の戦国および近世大名のことを言う。その間、十代、あるいは九代、ほぼ二百年間、房総の地にその名を轟かせた。ここに収録したのは、その里見氏代々の宗主を中心とした歴史として知られる『里見軍記』・『里見九代記』・『里見代々記』の三書である。書名はまちまちであるが、同じ里見氏の歴史であり、十五世紀から十七世紀の房総の歴史を通覧するのに、最も便宜の得られる歴史書である。里見軍記(里研刑部少輔義実公と里見刑部大輔義成公;里見上総介義通公病死の事;里見上総介実堯公 ほか)里見九代記(里見刑部少輔義実公のこと;里見刑部少輔義成公のこと;上野介(上総介)義通公のこと ほか)里見代々記(元祖義実公と初代義成公;第二代義通公;第三代実堯公 ほか)
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