JPY ¥3,080
家持が愛した「布勢の水海」をはじめとして、『万葉集』にうたわれた富山の地をめぐる後世の動き、富山県ゆかりの文学と『万葉集』との関わり、ラフカディオ・ハーンと山田孝雄という二人の人物も取りあげ、文学とかかわり続ける富山を紹介する。越中万葉の意義氷見市布施の円山と「大伴家持千百年祭」立山はなぜ歌枕にならなかったのか―『萬葉集』享受研究の一助として富山の古典文学―「武士の物語」と「俳諧」を中心に小泉八雲と万葉集―遺作「天の河縁起」にみる山上憶良の七夕歌の享受を中心に山田孝雄博士と萬葉集について   Honya Club.com


JPY ¥770
助松の父・大五郎は日本橋の薬種問屋・伊勢屋の手代だったが、一年半前に富山に出かけ行方不明となった。一人残された伊勢屋の小僧となった助松は、父から誰にも見せぬように言われた日記を預かっていた。なかには万葉集の和歌も綴られていた。助松に歌の意味を教えたのは、伊勢屋の娘しづ子と客の葛木多陽人だった。ある偶然から、しづ子は大友主税と名乗る侍と知り合い、頼まれて歌の手ほどきをするようになるが、今度はしづ子が家を出て行ってしまう。そして大五郎としづ子の失踪には、関係があった。二人の行方は?万葉和歌の魅力を伝える新シリーズ!万葉集の歌の数々が味わえる!新シリーズ。 日本橋の伊勢屋で奉公する助松には、父親の大五郎がいた。しかし、一年半前に伊勢屋の仕事で富山に出かけたまま、行方不明になっていた。父は、助松に日記を残していた。このことは決して他人に話さないように言われた。日記には和歌らしきものがいくつも書かれている。 伊勢屋の一人娘しづ子は助松より六歳上で、和歌が好きで賀茂真淵に学んでいた。そして、店の大切な客人である占い師の葛木多陽人も和歌に造詣が深かった。多陽人は京都生まれの京都育ちで、回りがぽかんと見惚れてしまう程の美男子だった。助松は、二人に事情を知らせずに日記に記された歌の意味を少しずつ、教わっていた。 ある日、体調を崩した大友主税という若い侍を助けたことがきっかけで、しづ子に和歌を学びに主税が訪れるようになった。しかし、主税がしづ子に近づいたのは別の理由があったのだった。 その後、しづ子は密かに姿をくらましてしまう。 大五郎としづ子の失踪には、関連があったのだ。 日記に記された和歌の数々には、どんな意味があったのか。 一連の謎は解き明かされるのか――。   Honya Club.com


JPY ¥1,430
春の苑/紅にほふ/桃の花/下照る道に/出で立つ娘子。これは、万葉集の編纂で有名な大伴家持がつくった歌です。彼がすごした越中(富山県)での五年間を歌とともにたどっていきます。奈良時代の有名な歌人で、「万葉集」の編者でもある大伴家持が、越中国に赴任した時の様子を、彼の作る和歌を要所要所にはさみながら描いていく。大伴家持の歌と足跡でたどる、越中万葉略年譜も掲載。   Honya Club.com


JPY ¥9,350
『萬葉集』を木簡や正倉院文書とともに読む。万葉歌が詠まれた時代と場所をさまざまな資料から復元。文芸世界と生活世界との乖離を、仮名表記の差異と変容から読み解く。第1部 万葉の史的世界(万葉びとと時刻―奈良時代時刻制度の諸相;神功皇后の周辺―オキナガの原義と酒楽歌について;佐保の川畔の邸宅と苑池;長屋王家の色彩史―万葉歌、長屋王家木簡に見える色彩語について;忘れ草と中国古典;万葉の時代の日本と渤海)第2部 万葉の時代の人物誌(大津皇子とその周辺;藤原不比等―その前半生について;玄〓―入唐留学僧の栄光と挫折)第3部 古代越中の諸相(「傳厨」考―富山県高岡市美野下遺跡出土墨書土器について;気多大神宮寺木簡と「難波津の歌」木簡―高岡市東木津遺跡出土木簡について;古代越中(越中・能登)地名雑考;「荊波の里」についての覚書―地図に描かれた道と表示記載の書字方向についての試論;越中の大伴家持)第4部 書評(市大樹著『飛鳥藤原木簡の研究』;稲岡耕二著『山上憶良』;木本秀樹著『越中古代社会の研究』)『萬葉集』を木簡や正倉院文書とともに読む万葉歌が詠まれた時代と場所をさまざまな資料から復元。文芸世界と生活世界との乖離を、仮名表記の差異と変容から読み解く。   Honya Club.com


JPY ¥3,300
本書は、地球科学の視点から、多くの人々に立山連峰の成り立ちと魅力を伝えようという試みである。自然科学研究者である著者は、立山・黒部と富山平野は知的好奇心を強く引きつけられる事柄に溢れている大地である、という。縄文海進の最大期からやや後退して海水準が2.5mほどであった時期の小竹貝塚(富山市)は、上端の標高が1mほどしかなく、当時の海水準より1.5mほども低いという、小竹貝塚の標高の謎。縄文海進の時期に形成された大境洞窟(氷見市)の床面の標高が5mほどもあり、当時の海水準と考えられている約3mより2mほど高いという、大境洞窟の標高の謎。小矢部市田川の浅海性の化石産出層の隆起をモデル計算すると290mほどになるが、実際の標高は60mほどであるという謎。万葉集には立山連峰の剛毅な姿を詠んだ大伴家持の叙景歌があるが、万葉の故地を句にした芭蕉は立山には無関心であったし、斎藤茂吉も立山の歌にはあまり関心を寄せてはいない。それは、なぜか。これらの謎を解くことは、地球科学から考古学と古代史などに架橋する試みでもある。また、地震学・測地学・地球化学など、地球物理的な観測・研究成果を総合して、立山・黒部マグマ溜まりの存在や、10万年に数百メートルの高速で隆起してきた立山・黒部地域の隆起を復元する。東北地震以降に日本列島で生じた地震を各種データから検討。はからずも、東北地震以降の立山・黒部の誘発群発地震は、隆起復元像の傍証となった。   Honya Club.com