「作戦の神様」か、「悪魔の参謀」か―。ノモンハン事件やマレー作戦などを主導した作戦参謀は、戦後、戦犯追及を逃れてアジア各地に潜伏。経緯を綴ったベストセラー『潜行三千里』を引っさげて国政選挙に電撃出馬しトップ当選を果たすが、再び東南アジアへ旅立った後に失踪。「絶対悪」と指弾された男はいったい何をしようとしていたのか―。謎の失踪から60年、残された親族・関係者に取材し、未公開資料を発掘。その知られざる実像に迫る本格評伝。はじめに―「絶対悪」と「英雄」の狭間で第1章 別れの予感―1961年の辻政信第2章 炭焼きの子に生まれて―1902年の辻政信第3章 「反骨」の萌芽―1917年の辻政信第4章 不死身の中隊長―1932年の辻政信第5章 転戦し続ける「神様」―1939年の辻政信第6章 語られざる潜伏生活―1945年の辻政信第7章 政界という名の戦場―1952年の辻政信第8章 「失踪」の真実―再び1961年の辻政信おわりに―負け戦と分かっていても元陸軍参謀が最後に企てた"作戦"とは? 1961年(昭和36年)4月4日、元陸軍参謀にして参議院議員の辻政信は、羽田空港から東南アジア視察のため単身、飛び立った。実はその出発直前、数々の「異変」が確認されていた。たとえば、辻の次男・毅氏はこう証言する。〈父はタラップに4回出てきたんです、機内に入ってから。あり得ないことです……〉その後の足取りは杳として知れず、8年後に「死亡宣告」が出された。伝説の作戦参謀は、いったい何をしようとしていたのか――。その生涯は、まさに波瀾に満ちている。苦学の末、士官学校を首席で卒業、陸大で恩賜の軍刀を下賜された。初陣の第1次上海事変での武勇が報じられ、一躍、時の人となるが、作戦を主導したノモンハン事件で多数の犠牲者を出し大損害
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