第1章 前置き(動植綵絵千年の謎;「動植綵絵」を研究した理由;「動植綵絵研究」の構成と要約;用語解説)第2章 「動植綵絵研究」の目的と方法(「動植綵絵研究」の目的;方法)第3章 結果(相似な形態(相似形兼隠し絵、自己相似図形、フラクタル)について;一見合同な形態の非合同性について)第4章 考察(この研究で何が解ったか;若冲の生涯とその時代背景;若冲は動植綵絵を通して何を伝えようとしたのか;本研究から観える若冲の人物像)動植綵絵千年の謎 −画に隠された若冲のメッセージ1760年、伊藤若冲は「動植綵絵」を初めて展示し、たちまち当時の人々に称賛された。当時の二大知識人もこれを絶賛した。しかし、それに対する若冲の反応は奇妙だった。この画を見た大坂の医者は、若冲が「動植綵絵をしかるべきところに収蔵し、見る眼のある人を千年待つ」と言った、と記している。当時の一般人はおろか、二大知識人でさえ十分に見ぬいていない「何か」がこの画にはある。そう若冲は考えていたようなのである。この「何か」こそ「動植綵絵千年の謎」とよぶにふさわしいものであろう。「動植綵絵」は仏画の一種と考えられるが、このような仏画としての花鳥画は他に類例がない。さらに、奇妙な格好をした鶏や他の鳥たち、「梅花小禽図」や「梅花皓月図」、「紅葉小禽図」などの自然にはありえない樹木の枝ぶり、「群鶏図」の奇妙な鶏の密集、「菊花流水図」の菊と「雪中錦鶏図」の檜の逆S字型のまったく同じ構図、「秋塘群雀図」や「蓮池遊魚図」、「池辺群虫図」、「諸魚図」、「群魚図」の同じ方向を向いた異様な動物の群れ、「芦雁図」の割れた氷など。どうしてこのように描かれたのか、その理由はいまだに謎である。そして、そもそもどうして「動植綵絵」は描かれたのか。これら「動植綵絵千
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