1950年代、「マンガの神様」手塚治虫が暮らした東京・豊島区のトキワ荘は、やがて若きマンガ家たちが集まる梁山泊となった。次々と創刊される少年少女向け雑誌を舞台に、締切に追われながら描きまくる後のレジェンドたちの青春の日々を、「少年倶楽部」から「漫画少年」を経て、週刊誌時代に至るマンガ出版史を背景に、膨大な資料を読み解いて再現する群像評伝。「伝説」はいま、「歴史」となった!一九四五年八月一五日第1部 「少年倶楽部」―一九二一ー四五年第2部 赤本マンガと少年雑誌―一九四六ー四九年(手塚治虫、プロデビュー―一九四六年;『新宝島』と「漫画少年」―一九四七年;相次ぐ新雑誌の創刊―一九四八年、四九年)第3部 「漫画少年」―一九五〇ー五五年(『ジャングル大帝』連載開始―一九五〇年;単行本から月刊誌へ―一九五一年;手塚治虫に続く者たち―一九五二年;上京する青年たち―一九五三年;新漫画党―一九五四年;「漫画少年」廃刊―一九五五年)第4部 トキワ荘―一九五六ー五八年(マンガの梁山泊―一九五六年;学年誌戦争―一九五七年;トキワ荘の悲劇―一九五八年)第5部 週刊誌とテレビ―一九五九ー六一年(「サンデー」「マガジン」創刊―一九五九年;拡散―一九六〇年;卒業―一九六一年)終章 トキワ荘という伝説日本のマンガは、このアパートから生まれた。手塚治虫、藤子・F・不二雄、藤子不二雄A、石ノ森章太郎、赤塚不二夫……若き日の巨匠たちが集った聖地・トキワ荘。日本のマンガ出版史を描き切る決定版評伝。東京都豊島区椎名町にあった木造二階建てのアパート、トキワ荘。1950年代、ここに住んだ手塚治虫の後を追うように、藤子不二雄A、藤子・F・不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫らが居住したことで、このアパートはマンガ史に残る「聖地」となった
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