由緒ある貴族の家に生まれたマルキ・ド・サド(一七四〇‐一八一四年)は、数々のスキャンダルで入獄と脱獄を繰り返し、人生の三分の一以上を獄中で過ごした。次々に発表された過激な作品群のうち、本書は特に読みやすい内容をもつ上、サド哲学のエッセンスが盛り込まれている。第一級の研究者がついに手がけた「最初の一冊」に最適の決定版新訳!由緒ある貴族の家に生まれたマルキ・ド・サド(1740-1814年)は、数々のスキャンダルで入獄と脱獄を繰り返し、人生の三分の一以上を監獄の中で過ごした。フランス革命で釈放されたあと、『ジュスティーヌあるいは美徳の不幸』(1791年)を匿名で刊行して以降、精力的に書かれた作品の中で、本書はそのエッセンスを気軽に味わうことのできる絶好の一冊である。第一人者がついに手がけた究極の文庫版新訳、ここに完成。マルキ・ド・サド(1740-1814年)は、由緒ある貴族の家に生まれた。1755年には将校に任命され、七年戦争に従軍したが、賭博狂いと娼婦通いが始まる。女性を監禁・拷問した「アルクイユ事件」(1768年)、娼婦を相手にソドミーや毒薬を盛ったとされる「マルセイユ事件」(1772年)などのスキャンダルを起こし、以降、入獄と脱獄を繰り返したサドは、人生の三分の一以上を監獄の中で過ごした。フランス革命によって釈放されたあと、『ジュスティーヌあるいは美徳の不幸』(1791年)を匿名で刊行。その後、『アリーヌとヴァルクール』(1795年)、本書『閨房の哲学』(同年)、『新ジュスティーヌあるいは美徳の不幸』(1797年)、『ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え』(1797年)、『恋の罪』(1800年)と、精力的に執筆を続けたものの、シャラントンの精神病院でその生涯を終えた。20世紀になってようやく本格的に読まれるようになり、アポリネール、
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