辰巳 哲+「常磐自動車道公害反対運動史」編纂会 言叢社
14年間におよぶ公害道路への反対運動。
その後、ひとりの当事者の手によって、十年にわたって書き綴られた運動の歴史。
運動は風化しつつあった。人間の行為とはなんと儚いものであろうか。
そして、文字による記録とはなんとしぶといものであろうか。
当時の住民運動を描き出すこの実に生き生きとした言葉は、ひとつの文学ですらある。
人間には、自分たちが成し遂げたことを後世に伝える能力があるのだ。
この本はそのことを私たちに教えてくれている。
──國分功一郎(哲学者・東京大学大学院総合文化研究科教授)
◆この反対運動は、閑静な住宅街の真ん中を高速道路が通る計画が発表されたことからはじまった。住民運動の経験などまったくない人たちが、どのような知恵を働かせ、強い団結のもと成果を勝ち得ることができたのか──。ここに、時代を超えた市民自治の原点がある。
第一部では、当事者たちによる一四年間におよぶ反対運動の記録の決定版を収録。
第二部では、運動が後の市民活動に及ぼした影響と、現在からみたその歴史的意義を記す。
カラー口絵
刊行にあたって 吉永 明弘(編纂会代表)
序 常磐自動車道の上に公園緑地ができるまで/その全体像
第一部 「流山の生活環境を守る会」一四年の軌跡
一九七一〜七二(昭和四六〜四七)年「流山の生活環境を守る会」の誕生
一九七三(昭和四八)年 建設反対から「地下道要求」へ
一九七四(昭和四九)年 住民同士が対立する中、公団「切土(堀割)構造」を発表
一九七五(昭和五〇)年 市議会議員選挙にチャレンジ、川田さん堂々の当選
同年 その2 市議会の変革が進み、「地下道方式」要求を再確認
一九七六(昭和五一)年 道路公団との攻防、強行測量をくい止める
同年 その2 「半地下構造」をめぐるチラシ合戦
一九七七(昭和五二)年 道路公団、住民を押しつぶす/市議会、公団との対決を決議
一九七八(昭和五三)年 「守る会」、小林理研の半地下構造優位論を論破
一九七九(昭和五四)年 議会圧力が強まる中、市長選で川田さん落選、市議選で熊田さん当選
同年 その2 市議会の攻防 ──道路公団の議会工作に対抗する
一九八〇(昭和五五)年 科学万博のテーマにふさわしい無公害道路を要求
一九八一(昭和五六)年 ついに地下道要求実現、アフターケア協定の締結
一九八二〜一九八四(昭和五七〜五九)年 地下道の上に公園ができた
一九八五(昭和六〇)年〜 一四年の運動のその後:アフターケア協定の遵守を求めて
第一部 あとがきに代えて 辰巳 哲
第二部 常磐自動車道公害反対運動・その後
闘いが終わって──当事者たちの声
常磐道公害反対運動が流山市の市民活動に及ぼした影響 伊勢 良一
父 哲、そして運動の仲間たちが立ち上げた地域の自治活動 辰巳 哲也
解題:一九七〇年代の公害反対運動から五〇年──流山の運動の歴史的意義 吉永 明弘
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