横浜の語学専門学校に進学した奈津は、叔母に頼まれた見合い写真を持って、横浜海軍航空隊の飛行艇の操縦手となった従兄の元を訪ねた。だが昭和17年、従兄の操縦する飛行艇は南洋を哨戒飛行中、敵爆撃機の編隊から友軍の輸送船団を守るために単機で奮戦し、郷里に新妻を残したままマーシャル諸島に散った。奈津にそれを知らせたのは、従兄の友人で元民間航空会社のパイロットの朽木だった。昭和20年になると、本土への空襲は激化し、横浜も絨毯爆撃にあう。奈津は焼け野原で、はじめて戦争の本当の姿を知る。8月15日の日本敗戦から数日後、朽木は終戦の連絡のため、ボロボロになった九七式飛行艇で宅間湾から飛び立った。奈津は、必ず帰ってくると約束した朽木の飛行艇を、赤いパラソルをさして岸壁から見送る―。短く消滅した日本海軍初の飛行艇部隊「横浜海軍航空隊」。その知られざる活躍と、隊員たちの生き様を、見守り続けた女性の視点で感動的に描いた本格歴史小説。人の命を盾にして生きる価値のある人間など、どこにもいない短く消滅した日本海軍初の飛行艇部隊「横浜海軍航空隊」。その知られざる活躍と、隊員たちの生き様を、見守り続けた女性の視点で感動的に描いた本格歴史小説。【あらすじ】横浜の語学専門学校に進学した奈津は、叔母に頼まれた見合い写真を持って、横浜海軍航空隊の飛行艇の操縦手となった従兄の元を訪ねた。だが昭和17年、従兄は新妻を残し、自分の飛行艇を盾に友軍の輸送船団を守り、南洋のマーシャル諸島で戦死した。奈津にそれを知らせたのは、従兄の友人で元民間航空会社のパイロットの朽木だった。昭和20年になると、本土への空襲は激化し、横浜も絨毯爆撃にあう。奈津は焼け野原で、はじめて戦争の本当の姿を知る。8月15日の日本敗戦から数日後、朽木は終戦の連絡の
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