乳児の頃に両親が離婚して母は出奔。著者・服部公一は、明治生まれで東京音楽学校中退の祖母に故郷・山形で育てられ、彼女からピアノの手ほどきも受けた。中学生の時には、後妻と暮らし、酒場で似顔絵描きをして糊口をしのいでいた東京の父親宅に身を寄せるが、高校は中退に追い込まれてバンドボーイに。そして当時弾ける者が少なかったピアノ演奏で、アルバイトとも趣味とも言えるような生活を始める…。戦前から戦後にかけての激動の時代―「童謡が輝いていた時代」でもあった―に稀有なボヘミアン体験を重ね、それが戦後のジャズ演奏や童謡の創作へとつながった作曲家"ハムさん"のドラマティックな自叙伝。第1章 祖母・タキと祖父・喜一郎第2章 昭和13年の板橋十丁目第3章 ピアノと私の始まり第4章 池袋モンパルナス第5章 福沢先生第6章 東京帰り第7章 「母さん」と呼べなかった話Koh‐ichi Hattori Photo Gallery第8章 フリント・ミシガンの興亡と音楽療法第9章 アルゼンチン・ブラジル・ペルー第10章 校歌の話、イスラマバードと私第11章 北風のレクイエム著者・服部公一は、東京音楽学校(現・東京藝術大学)に在学して創成期の日本の音楽教育を受けた明治生まれの祖母から生地の山形で初期の音楽教育を受けた。祖父は東京美術学校出身の彫刻家。父も彫刻家であったが、著者が乳児の頃に父母は離婚して母は出奔、ピアノの手ほどきを受けたこの父方の祖母に育てられる。そして中学生の時には東京に後妻と住んでいた父親のところに身を寄せ、酒場で似顔絵描きをして糊口をしのぐ父親同様、当時弾ける者が少なかったピアノ演奏でアルバイトとも趣味とも言えるような生活を始める……。戦前から戦後にかけての激動の時代――「童謡が輝いていた時代」
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