欧州に極秘潜入した周蔵、それはハプスブルク家の企図だった!第1部 戦時下のウィーン潜入(石光真清によるスパイ教育;欧州に張られた國體ネットワーク;周蔵のウィーン大学潜入;周蔵の「表看板づくり」;「草」の周蔵と「犬」の祐三;偽装患者・佐伯祐三の診断書;ジーメンス事件との接近遭遇;紳士軍人・貴志彌次郎;周蔵を悩ますニセ三人)第2部 欧州に渡った北朝皇統(國體ワンワールドと黄金・罌粟ファンド;欧州に入った國體参謀衆;スイスでハプスブルク家を建てた北朝皇統;欧州に渡った日本皇統のまとめ)「自分の役目はウィーン大學の血液學を盗みに行くようなものである」欧州に極秘潜入した周蔵、それはハプスブルク家の企図だった!十八歳で初対面の陸軍中将・上原勇作から「草を命ずる」と言われ、それを引き受けたときに吉薗周蔵の一生は定まった。周蔵はその日から永年にわたり、自筆の手記を認めてきた。そこには、上原付の陸軍特務として活動した周蔵の眼を通して、大正・昭和の日本国家の動きが裏側からとらえられており、その内容には今日の歴史常識を大きく覆すものがある。平和国家となった戦後日本の常識では理解しがたいことが、その時期には日常行われていた。東京裁判史観とそれに基づく社会教育の結果、当時の世界状況と日本を取り巻く欧米列強・アジア諸国の実情から目を逸れされた戦後人は、その時代の祖国と父祖の実績をいたずらに悪意をもって見ようとしてきたが、我々の父祖は痴呆でもなく狂気でもなかった。ただ生を享けたこの国と、ここに住む家族を外国の奴隷にせぬために、あらゆる努力をしてきたのだ。それを実証するのが「吉薗周蔵手記」である。―日本は明治になって、大忙しで外國文化を見た国であるから、きっと浮き足立ったところがあったのであろう。然し日露戰
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