旅館業から駅弁、ドライブイン、そして新生荻野屋へ。リーマンショック、東日本大震災、そして今回のコロナ禍。度重なる環境変化や危機に挑み続けた老舗会社の6代目の挑戦。第1章 「峠の釜めし」誕生―お客様の声を聞く第2章 押し寄せるモータリゼーション―鉄道から道路へ第3章 バブルと長野オリンピック―ドライブイン事業の急拡大第4章 孤独な継承者―「峠の釜めし」の成功体験を見直す第5章 「進化の芽」を育てる―新生荻野屋へ歩みはじめる第6章 負の遺産を清算―持続的成長へのハードル第7章 創業200年への基盤づくり―東京進出多くの中堅・中小企業が;新型コロナウイルスの感染拡大により経営に苦しんでいる。2020年に創業135年を迎えた駅弁「峠の釜めし」で有名な荻野屋も例外ではない。観光産業と密接に関連するために約9割の売上げを一気に失った。だが;危機に面したのは今回が初めてではない。 荻野屋は;もともとは碓井峠近くで旅館業を営んでいたが;鉄道が敷設されることを知り;横川駅で駅弁業を開始。いまのベンチャービジネスのような挑戦だ。だが;創業からの道のりは平たんではなかった。第一次世界大戦後には世界大恐慌;第二次世界大戦前後には食材不足の時代に直面。3代目社長となった高見澤一重は;妻のみねじと3人の幼子を残し;若くして急逝。その残されたみねじが;3年の間;来る日も来る日も信越本線横川駅のホームに立ち;美味しい駅弁をつくろうと;お客様の声を聞き続け;ヒット商品となる「峠の釜めし」を創り上げる。しかし;今度はモータリゼーションの逆風。鉄路から道路へと変わっていく中;駅弁からドラブインでの販売に積極的に乗り出し;見事に新しい販路を開拓していく。ピンチをチャンスに変えたのだ。 著者・高見澤志和が;父・忠顕の急逝を受け
Honya Club.com