新政府は瓦解の危機に瀕していた!薩長土肥による主導権争いと、藩主、武士の抵抗。廃藩置県に至る3年間、暗殺と反乱が続き凄まじい権力闘争が続いていた。気鋭の歴史研究家が、維新直後の知られざる実相に迫る。1 明治政府、迷走のはじまり―東京「遷都」(新政府誕生;明治天皇の東京行幸 ほか)2 戊辰戦争の戦後処理―論功行賞の朝令暮改(奥羽越列藩同盟の崩壊;仙台藩の混乱と粛清 ほか)3 再びの薩摩藩と長州藩の抗争―台風の目となった大蔵省(薩長衝突の歴史;版籍奉還をめぐる対立 ほか)4 薩摩藩の藩内抗争と長州藩の内戦―維新三傑の苦悩(薩摩藩の内紛と西郷隆盛の藩政復帰;長州藩の内戦と木戸孝允の苦悩 ほか)5 薩長両藩による再びのクーデター―廃藩置県の真実(薩摩・長州藩による政府改革案の浮上;政治改革をめぐる薩長両藩の暗闘 ほか)朝敵とされた雄藩の処置の裏側で凄まじい権力闘争が続いていた! 維新直後の新政府は、瓦解の危機に瀕していたのだ! 藩閥政治という言葉に象徴されるように、明治政府は薩摩・長州藩が牛耳っていたというイメージが強いが、明治初頭は必ずしもそうではない。両藩は政府内で暗闘を繰り返す一方で、政府入りした藩士と藩に残った藩士の対立という悩みを共通して抱えていた。政府の中核であるはずの両藩の混乱を背景に、政府の迷走は深刻度を増す。かたや、両藩から政府の主導権の奪取を目論む他藩は、虎視眈々とその機会を窺う。幕府や諸藩が入り乱れる形で権力闘争が展開された幕末以来の構図が明治に入っても続いていたのである。維新直後より薩長両藩を主軸とする政府は迷走を続けた。その結果、廃藩置県直前には瓦解寸前の窮状に陥る。あたかも後醍醐天皇の建武の新政の二の舞になるところであった。本書は、幕府滅亡から廃藩置県までの約
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