「鎌倉シャツ」を25年で世界的ブランドに。なぜNYで成功できたのか?VANの石津謙介から学んだものとは?なぜ"低価格高品質"を実現できたのか?創業者・貞末良雄の人生とビジネスの極意。第1章 弱虫第2章 家族第3章 失敗第4章 成長第5章 シャツ第6章 ニューヨーク第7章 運命第8章 ダンス「メーカーズシャツ鎌倉」(通称、鎌倉シャツ)は立ち上げから25年で年間70万着以上を売り上げるシャツ屋となった。いまや、ニューヨーク、上海にも出店、海外でも支持される数少ないメイド・イン・ジャパンのアパレルだ。創業者の貞末良雄氏はいかにして、この成功をつかんだのか?1つめの要因は、一世を風靡したVANに勤めた経験だ。カリスマ社長の石津謙介からファッションの神髄について直々に教えを受けた上に、倉庫担当として、在庫管理のノウハウを身につけた。2つめは、不可能を可能にする信念である。創業当時、1着4900円という価格も、年間30万着という売り上げ目標も、だれも本気にはしなかった。ニューヨーク出店の際には、現地の不動産屋から止められさえした。しかし貞末氏は、どんなに反対されても知恵と人脈を総動員して、信念を貫き通した。そして3つめは、二人三脚で事業拡大をした妻の存在である。販売面では彼女の社交性が武器となり、ニューヨーク店も彼女が事実上の店主として、客の信頼を得ることができた。この3つの柱を軸に、?鎌倉シャツ?の成功の軌跡を振り返る――。
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