京都で生まれ、尺八や筝をたしなむ両親のもと幼い頃から音楽に興味を示した松村は、1949年に旧制第三高等学校理科を卒業後、作曲家への道を目指して清瀬保二を頼って上京。当時清瀬の家に出入りしていた武満徹と親交を結ぶも、結核のために東京藝術大学の受験に失敗し、5年間の療養生活を余儀なくされました。その頃から俳句も手掛け、この分野でも才能を発揮します。退院後は次々と作品を発表、1970年より藝大音楽学部作曲科にて教鞭を執るまでになりました。このアルバムには3つの作品を収録。東洋的な精神を表現しようと努めた1965年の「交響曲第1番」では、壮大な音が聴き手を圧倒します。そして35年以上経て書かれた「交響曲第2番」は彼自身のモノローグ。響きはより調性に回帰し、ピアノと管弦楽は対話を重ねながら最後のクライマックスへと突き進みます。最後に置かれた、「ゲッセマネの夜に」では、松村の思いはキリストの眼差しを借りながら、人々の苦悩を描きだします。 (C)RS
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