社会変革を夢見た著者の膨大な読書と思索の跡。かみなつきに記す(一九九八年十月)(足立巻一『やちまた』;ツバイク『人類の星の時間』;シェネェデルバッハ『ヘーゲル以降の歴史哲学』;セルゲイ=ドブラァトフ『わが家の人々』;松下裕『評伝 中野重治』;ビクトル=セルジュ『一革命家の回想』;野崎昭夫ほか『露西亜学事始』;ニコライ=バレンチノフ『知られざるレーニン』;菊池昌典『現代ソ連論』;ブルゥノ=ヤセンスキィ『無関心な人々の共謀』;ブルガァコフ『犬の心臓』)しもつきに記す(一九九八年十一月)(イワン=アレクセェエビッチ=ブゥニン『アルセーニェフの青春』;ドブロリュウボフ『オブロゥモフ主義とは何か』;菊池昌典『人間変革の論理と実験』;トロツキィ『レーニン』;パンテレイモン=ロマァノフ『同志キスリャコフ』;松田道雄『革命と市民的自由』;アレクサンドル=ジノビエフ『余計者の告白』;亀山郁夫『破滅のマヤコフスキー』;ルイス=フィッシャア『レーニン』;丸山真男・加藤周一『翻訳と日本の近代』;矢澤修次郎『アメリカ知識人の思想』;ダニエル=ベル『イデオロギーの終焉』)友人たちから天才とよばれた著者は、日記を残して夭折した。そこには、膨大な量の読書と類まれな思索の結果が記されていた。この著者が何者であるかを簡単には断じられないが、その深い教養と社会変革への純粋な志に読者は心打たれるだろう。「サトー君との出会いによって私は、《教養人》とはどういう人であるのか、少なくとも、どういう人間であろうとする人のことを指すのか、明確なイメージを持つことができたのだ。彼はまったく驚嘆すべき人だった。思想、哲学のみならず、文学や芸術にも通暁し、いわゆる古典名作と呼ばれるものにことごとく目を通しており、そのすべてについて
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